東京マラソン 本紙記者も参加 ボランティアで ランナーで

2022年3月7日

 市民ランナーが3年ぶりに東京の中心を駆け抜けた。6日に行われた東京マラソンは約2万人のランナーが走り、大勢のボランティアが運営を支えた。本紙記者もランナー、ボランティアとして参加した。

◆都心を堪能 沿道に背中押され

ゴール後に完走メダルをかかげる石川智規記者=千代田区で

ゴール後に完走メダルをかかげる石川智規記者=千代田区で

 スタート地点の都庁前が、色とりどりのランナーシャツで埋まった。みな表情も良い。大規模大会の開催と運営を理解してくれたあらゆる人々に感謝しているかのようだ。
 スタート前の荷物預かりはコロナ対策のため中止。上着などを預けられず、薄着で寒さに耐えたことだけがつらかった。四年前に走った米ニューヨークマラソンはスタート地点に「寄付ボックス」が並び、上着や防寒具を手放せた。服はホームレスらに寄付される仕組み。東京でも適した手法を編み出せるといい。
 走り出すと、コースはぜいたく。新宿・歌舞伎町に始まり、日本橋や秋葉原など東京の名所を見ながら、車道を堂々と走れる。気分が上がり、一キロ五分ペースで快走。十七キロ地点でキプチョゲ選手とすれ違う。偉大な選手と同じコースを走れるなんて。美しいフォームをまねると、またもペースが上がって気持ちいい。
 そのツケは「三十キロの壁」以降に来る。三十三キロ地点の銀座で、ひざが上がらなくなった。妻が沿道に来ているはずだが見つからない。心身ともにダメージを受け、タイムは一キロ六分ほどに。ボランティアや沿道の方々の拍手のおかげで何とか重い足を動かせた。
 四十一キロ地点の日比谷で、妻の姿を見た。がぜんやる気が出て、ラスト直前の丸の内仲通りへ。二年前に大迫傑選手が力強く駆け抜け、五輪代表を射止めたれんが道を自分なりに疾走した。タイムは自己ベストに迫る三時間四十六分。コロナが落ち着き、沿道の歓声が戻る頃、また東京を走りたい。 (石川智規、46歳)

◆夢の給水 非日常の高揚感

給水所で水のコップを並べる長竹祐子記者=台東区で

給水所で水のコップを並べる長竹祐子記者=台東区で

 「もうすぐ先頭集団が来ます」。午前十時前、台東区蔵前に設置された十七キロ地点給水所のボランティアは、にわかに忙しくなった。できる限りのコップをテーブルに並べてランナーを待つ。緊張が高まった。
 車いすランナーに続き、キプチョゲ選手らトップ集団が、すぐ目の前を風のように過ぎ去った。
 「マラソンの給水って一回やってみたい」と子どもの頃からテレビ中継を見るたび思っていた。二〇二〇年の東京マラソンに申し込んだが、コロナ禍で一般の部は中止に。ランナー同様、この日を待ちわびてきた。
 まん延防止等重点措置のもとでの開催。本番二週間前から毎日の体温や体調を専用アプリで記録し、給水コップは手渡しでなくテーブルに並べ、ランナーとのハイタッチや大声の声援は控えるなど、でき得る限りの感染予防対策をしている印象だった。
 約二万人のランナーは仮装する人、ウクライナ国旗の色を身にまとった人、「84歳、人生これからよ」とタスキを掛けた人。一人一人から走れる喜びやパワーがあふれ、元気をもらえた。
 担当した給水所は、実は水以外にも唯一「ようかん」を配る重要な給食ポイントだった。受け取ったランナーから「ありがとう」「ボランティアご苦労さま」とねぎらいの言葉をかけられ、充実感に満たされた。
 あっという間の数時間。初めての人と出会い、つながり、自分を認めてもらえた。長引くコロナ禍で忘れていた非日常の高揚感がよみがえり、帰り道の景色が鮮やかに見えた。 (長竹祐子)
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日期:2022/03/07点击:13