~特集~ 世界ー環境に配慮した東京五輪の実現に向けて
オリンピック・パラリンピック(以下、両者を合わせて「五輪」と表記)における“環境”と“持 続可能性”は、近年、招致活動で必ず取り上げられる重要なテーマだ。2020年に開催される 東京五輪でも「環境を優先する2020年東京大会」を理念として掲げている。56年ぶり2回目 の五輪を開催する東京には、どのような取り組みが求められるのか。五輪と環境の関わりを検 証しながら、2020年の五輪の在り方を考える。
オリンピックにおいて「環境」が重要なテーマとなったきっかけは1972年にさかのぼる。ローマ・クラブによって『成長の限界』が発表され、世界規模で環境問題が話題となった年、札幌では第11回オリンピック冬季競技大会が開催された。同大会では、準備期間から問題となっていることがあった。アルペンスキーの滑走コースを恵庭岳に新設しようとしたところ、自然保護団体から強い反対の声が上がったのだ。恵庭岳は支笏洞爺国立公園内に位置している。国有林を伐採して競技会場を造成する計画は、周辺の生態系を破壊すると、批判を浴びた。論議の末、当時の厚生省は「従来の林相に早急に回復し得るような方法で植林すること」を条件に、期間限定の滑走コースの設置を認めた。大会終了後、ロープウェイやリフトなどの関連施設が撤去され、植林が行われたが、こうした復元工事に当時の金額にして2億4,000万円を費やしたといわれている。大会から40年余りたった今、一見しただけでは、かつてオリンピックの競技が行われたとはわからないほど、植生は回復しているように見える。しかし、支笏湖ビジターセンターの展示室では、「雪が積もるとコースの跡がうっすらと姿を現す」と紹介されており、植生回復の難しさを伝えている。
札幌五輪以後も、五輪における自然破壊はたびたび問題となった。第12回オリンピック冬季競技大会(1976年)では、開催予定地だったアメリカのデンバーが大会開催権を返上。これは経済的な問題のほか、環境保護団体から強い抗議を受け、解決策が見いだせなかったためといわれており、最終的にオーストリアのインスブルックに開催地が変更された。ほかにも国際オリンピック委員会(IOC)は、環境保護団体からさまざまな抵抗運動を受け、対応を迫られてきたが、1990年、当時のサマランチIOC会長は、オリンピック・ムーブメントに環境保全を加えることを提唱。「スポーツと文化と環境」をオリンピックの3本柱として掲げ、それまでの受け身の体制から積極的に環境保護に乗り出すことを打ち出した。さらに、1992年、バルセロナで行われた第25回オリンピック夏季競技大会で、IOCや各国・地域の国内オリンピック委員会(NOC)や選手たちが「地球への誓い」に署名。オリンピックにおいて地球を保護することが公約とされ、本格的な取り組みが始まった。1994年には、IOC創立100周年を記念してフランス・パリで行われた国際会議で「スポーツと環境」分科会が開かれ、IOCの憲法ともいえる「オリンピック憲章」に初めて「環境」についての項目が加えられた。五輪の開催と自然環境の保全をどう両立させるか。この問題は、招致活動でも必ず触れられる重要なテーマであり、環境への配慮なしに五輪を開催することはできなくなっている。
バルセロナ五輪から本格的に始まったオリンピックにおける環境対策は、2012年のロンドン五輪へとつながる。ロンドンオリンピック・パラリンピック組織委員会は、招致に名乗りを上げたときから、「オリンピック史上最も環境に配慮した大会」を目標に掲げ、環境負荷の低減、生態系の保護などに徹底して取り組んだ。まず行われたのが、オリンピック・パークなどの競技場・関連施設が集中するロンドン東部地区の土壌修復だ。この地区は、18世紀の産業革命以来、工場、プラントなどが集中してきたところで、鉛やガソリン、有毒な化学物質などによる土壌汚染が問題になっていた。オリンピックを前に最新技術を使って大規模な土壌浄化を行い、利用可能な土地へと再生させた。
さらに、大会の準備から運営、撤去に至るまで「廃棄物ゼロ」が目標とされた。大会で使用する施設は、可能な限り既存施設を利用し、新設する場合は大会後も長期利用が見込まれるものに限定された。特に注目を集めたのは、組み立て式のバスケットボールアリーナだ。白いビニールシートで覆われたアリーナは期間限定の仮設施設で、大会終了後、解体して、場所を変えて何度も再利用できるように設計された。このほか、不要になったガス管を再利用してオリンピック・スタジアムの屋根をつくったり、従来よりも75%軽量化した鉄鋼を使ったりするなど、環境に配慮するためのさまざまな工夫が凝らされた。大会期間中には、観客が出すごみのリサイクルを推進。観客に対しごみの分別を呼びかけ、生ごみのコンポスト化やペットボトルのリサイクルなどを行った。会場で出されたすべてのペットボトルをリサイクルするため、イギリス東部のリンカンシャーに新たにプラントを建設。同プラントは、コカ・コーラ社の投資を受け、エコ・プラスチック社によって建てられたもので、毎時45万本のペットボトルをリサイクルできる世界最大級の能力を持つ。コカ・コーラ社とエコ・プラスチック社は大会終了後10年間の提携を約束しており、イギリス国内でのリサイクル促進に向け、さらなる展開が期待されている。
もう1つ将来の展開が期待されているものとして、持続可能性を考慮したイベントマネジメントの国際規格がある。2007年、ロンドン五輪を環境、社会、経済のバランスが取れたイベントとして運営するため、国内規格「BS8901」が策定された。「BS8901」は持続可能なイベントの在り方を提言するもので、これをベースに国際規格「ISO20121」が2012年6月に発行された。ロンドン五輪は、同規格に準拠した初の五輪である。2016年のリオデジャネイロ五輪や2020年の東京五輪にも同規格が適用される予定で、イベント運営と持続可能性の関わりは今後ますます重要になりそうだ。
2020年東京五輪については、まだ計画の詳細が明らかとなっていないが、招致の際にIOCへ提出された『立候補ファイル』の中で環境対策の指針が示されている。同大会は、「環境を優先する2020年東京大会」を理念として掲げ、大会前・会期中・大会後の環境への影響を防止または削減することを表明している。特に、会場計画に関しては、1964年に開催された東京五輪の会場を含む既存施設を活用するとともに、選手村から半径8キロメートル圏内にオリンピック競技会場の85%、パラリンピックの競技会場の95%を配置する「かつてないほどコンパクトな大会」を目指す。このほかにも、再生可能エネルギーの導入や低公害車・低燃費車の利用など、さまざまな環境対策を掲げている。しかし、8万人の収容能力を持つ新国立競技場の建築計画に対して、神宮外苑の景観と調和する規模と形態となるよう見直しを求める動きが起きたり、都立葛西臨海公園に建設されるカヌー競技場が生態系の破壊につながると日本野鳥の会が訴えたりするなど、環境保全をめぐる議論がすでに起こっている。
五輪が抱える課題に対し、早稲田大学スポーツ科学学術院の間野義之教授は、次のように話す。
「五輪の開催に伴い、競技施設や選手村、交通インフラなど、都市開発が発生します。これらの開発の中で、環境やエネルギーだけでなく、高齢化、交通利便性、防災・安全などの課題を最先端のテクノロジーを使って克服できれば、世界への絶好のアピールになるでしょう。世界から注目を集める五輪は、日本の優れたテクノロジーを広く認知してもらい、普及させるチャンスです。五輪を通じて課題解決先進国としての力を示すことができれば、21世紀の国際社会において東京、そして日本はリーダーシップを発揮していけるはずです。
たとえば、東京五輪は真夏に行われるため、都心のヒートアイランド現象をいかに軽減するかが課題となります。マラソン競技を考えてみると、炎天下、過酷なレースになることが容易に想像できるでしょう。競技時間を比較的涼しい早朝にすることも考えられますが、道路の温度を下げる舗装技術を使うなど、日本のテクノロジーの力を実演できるかもしれません。また、トップアスリートたちがベストパフォーマンスを発揮するには、選手村の環境をきちんと整備することが重要です。単に冷房を使うといった方法では、アスリートの体まで冷やしてしまいかねません。そのため、トップアスリートの繊細なコンディションに配慮した工夫が求められます。こうした工夫は五輪の中だけで必要とされるものでなく、高齢者や赤ちゃんに優しい環境をつくる上でも重要なものであるはずです。五輪を契機に、優れた技術を社会へ広めていくことが期待されます。
こうした社会への影響は、近年、五輪の招致・開催で重要項目となっている『オリンピック・レガシー』と一致するものです。『オリンピック・レガシー』は、オリンピックの招致・開催によって長期的・持続的にもたらされる効果のことで、環境、経済、文化、都市化など、幅広い領域に及びます。未来へとつながる『オリンピック・レガシー』をいかに多く創出するか。2020年、質の高いオリンピックを実現するには、『オリンピック・レガシー』の重要性を認識し、成果を最大化していくための取り組みが求められます」
明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科長の市川宏雄教授は、都市政策という視点から東京五輪の意義を次のように話す。
「五輪を開催することは、都市にとってインフラを整備する最大の機会といえます。現在、東京の社会基盤は成熟しているものの、老朽化が進んでいます。2020年の東京五輪は、老朽化したインフラの補修・改修に着手する絶好の機会になります。1964年、日本で初めて五輪が行われたときも、高速道路、主要道路、河川管理施設、堤防、岸壁、上下水道などの整備が一気に進められましたが、2度目となる今回は状況が少し異なります。前回は、五輪開催に首都高速道路の完成を間に合わせるため、日本橋の上に高架橋をつくったり、築地付近の川を埋め立てるなど、従来の景観を壊すような開発も行われました。しかし、成熟都市となった東京では、環境を顧みない開発は許されません」
2014年2月、東京都の知事に就任した舛添要一氏は、その就任会見で「東京の最大の問題の1つは交通体系」と述べ、2020年東京五輪に向け全面的に見直す意向を表明した。老朽化が進む首都高速道路の大規模修繕・更新事業、3環状道路(首都高中央環状線、外環道、圏央道)の整備に加え、自転車専用道などの整備も行い、自転車を有効活用する考えを示している。
NPO自転車活用推進研究会の理事を務める疋田智氏は、ロンドンの自転車革命が東京のお手本となる、と話す。
「ロンドンの自転車施策には日本が学ぶべき点が多数あります。というのも、ヨーロッパでは、ドイツやデンマーク、オランダなどが自転車先進国として有名ですが、イギリスはかつて日本と同じように自転車後進国として知られていたからです。2012年のオリンピック開催が決まった2005年、ロンドンでは自転車シティを目指す取り組みが始まりました。しかし、当初は行政に自転車マネジメントの知識がなく、歩道に自転車レーンをつくったり、左右逆通行にしたり、さまざまな失敗がありました。日本でも歩道を走る自転車が見られますが、自転車が歩道を走ると交差点での事故が起きやすく危険です。ドライバーは車道で起こることには注意が向いていますが、歩道から飛び出してくる自転車にとっさに対処できないからです。安全性を考えるなら、自転車レーンは車道の左側でなくてはいけません。
失敗から始まったロンドンの自転車革命は、2008年にボリス・ジョンソン氏が市長に就任したことで、一気に推し進められました。まず、ボリス市長がしたのは、交通局自転車担当顧問を任命したことです。この顧問の管轄のもと、街区によってさまざまだった自転車施策を一本化し、自転車レーンや駐輪場の整備、そしてパリの『ヴェリブ※1』を参考にした自転車レンタルシステムの導入を進めました。こうしたインフラの整備と同時に、自転車の正しい利用方法や楽しさを教える教室もたくさん開かれました。これは自転車に馴染みのなかった市民の意識を変えることに役立ち、自転車利用率は2012年の五輪まで年間10%ずつ伸び続けたそうです。自動車から利便性の高い自転車への乗り換えが進み、交通渋滞が緩和される効果もありました。
最近、都内でも自転車レーンが少しずつ見られるようになりましたが、まだ試験的に行われているような状況で、行政区によって取り組みの内容が異なります。こうした日本の現状に対し、自転車シティへと生まれ変わったロンドンの取り組みは、失敗も含め参考になるはずです。今後、日本で安全な自転車活用を進めていくには、統一した自転車レーンをつくり、自転車のルールとモラルを確立することが不可欠です」
交通インフラの整備に関しては、日本橋の上にかかる首都高速道路を撤去して青空を取り戻そうというアイデアや、水路を壊してつくられた京橋周辺の首都高速道路を暗渠化しようというアイデアが市民団体などから提案されている。ほかにも、水上交通やLRT(次世代型路面電車システム)、BRT(次世代型バスシステム)など、新しい公共交通の活用案も挙がっており、2020年に向けて交通体系の再編が期待される。
世界の40都市を対象とした「世界の都市総合ランキング(GPCI)」によると、2011年までニューヨークが1位、ロンドンは2位だった。しかし、ロンドンは、五輪を開催した2012年にニューヨークを初めて逆転した。同ランキングの作成に携わる市川教授は五輪の持つ効果を次のように話す。
「五輪開催が都市力を向上させることは、都市政策を研究する者にとってはもはや常識です。2012年にロンドンがニューヨークを逆転したのは、五輪を行う数年前から国際会議や五輪のプレイベントを実施したこと、さらに宿泊施設の整備や海外旅行客の誘致を図ったことがスコアに反映された結果だといえます。世界の都市総合ランキングでは、ロンドン、ニューヨーク、パリに続いて、東京は4位に格付けされています。同ランキングは、『経済』『研究・開発』『文化・交流』『居住』『環境』『交通・アクセス』の6分野から総合的な都市力を評価するものですが、実は『環境』のみに着目した場合、東京は現在、世界で1位です。東京ほど空気と水がおいしい都市はほかにありません。しかも、東京は、周辺地域を含めた人口が3,000万人を超える、世界ナンバーワンのメガシティです。これほどの人口を持ちながら、優れた都市運営を展開していることは、東京の強みといってよいでしょう。五輪はそうした東京の魅力を世界に示すまたとない機会であり、都市総合力を伸ばす後押しになるものです。また、五輪は政府が掲げる『国家戦略特区』構想を実現へと導く推進力としても期待されます。国家戦略とオリンピックの準備を連動しながら進めることで、東京のみならず日本の国力を伸ばすことが可能になります」
五輪は単なるスポーツイベントではなく、4年に1度社会を変えるチャンスとなる。選手村を含め五輪の競技会場となるのは東京23区のうち9区。しかし、五輪の開催によってもたらされる影響は、東京のみならず国内全体にも及ぶ。インフラ整備の前倒し、観光業の促進、国民に与える高揚感が生む五輪特需による消費拡大などを考慮すると、約19兆円の経済波及効果があると試算されている※2。さらに、五輪を機に、東京という都市の在り方を、模範として世界へ波及することも夢ではないだろう。ただし、その恩恵を最大限に受けるには、五輪が何をしてくれるかを期待して受動的に待つだけでなく、五輪を契機に何ができるかを能動的に考えることが必要だ。IOCは、開催地に対し五輪の基本計画を前もって提出することを求めているが、その期限は2015年2月に迫っている。五輪を通じて日本をどんな社会に変えていきたいか。全国の自治体、企業、そして国民一人ひとりが当事者として考えなくてはならない。
※12007年よりパリで提供されている自転車レンタルシステム。現在、パリ市内の1,800カ所に2万台を設置。セルフサービスで24時間、自転車の貸し出しを行う。
※2森記念財団都市戦略研究所2014年1月発表
●東京都オリンピック・パラリンピック準備局
●明治大学
●早稲田大学
●NPO自転車活用推進研究会
●『SAFE』Vol.105(2014年5月号